結婚をして新たな親戚づきあいが始まると、人間関係の摩擦も始まります。たとえばお墓参りのときに何かと「やってはいけないこと」とか。たとえばこの2つ。
- ついで参りをしてはいけない
- 午前中に参らなくてはいけない
もっとお墓参りに行く時期や回数といったど真ん中なことでも違いがありますが、こんな一見すると常識と思われているようなことでも違いが出てきます。
ここではこの2つについて書きますが、あなたの知っているタブーが他にもあることでしょう。もちろんそれぞれに理由があって、そのように言われているはずです。
これらは本当に 「やってはいけないこと」なのでしょうか?このようなルールにモヤモヤした気持ちを感じたら読んでみてください。
お墓参りでしてはいけないことについて
あなたが知っているお墓参りにまつわる様々なタブーやルールにも賛否あって、聞く人によって答えが違う場面はたくさんあります。そしてそれは残念なことにどちらも正しかったりします。
地域によって、宗派によって、家族によって、続けられてきたやり方があるからです。「もう何が正しいのかわからない!」そんな時には素直に聞いてしまうのが一番です。
- (義)両親や親戚にしきたりについて教えを乞う
- お寺に質問する
自分のこれまでの考え方と違うからと言って反発しても、相手のあることなので思い通りになることはほとんどありません。あなたがお嫁さんとして夫の家族になった立場なら、よけいに難しいところです。
思い切って聞いてしまって、かわいがられる方が後々良好な関係を築くことができます。
お墓のついで参りが失礼にあたるとき
お墓のついで参りについては「お彼岸に墓参り行けないならいつまでに?頻度はどれくらい?」で少しふれましたね。
「○○のついでにお墓参り」というのは失礼だといわれています。なので「お墓参りのついでに○○」です。
この考えついても賛否あります。
ついで参りをしても良い
2か所以上でも前もって計画しているなら良い、お墓参りがメインの目的なら良い、という考え方です。
メインなのだから「ついで」にはなりません。遠方で、帰省の日数を多く取れないときは、何か所もお参りするのもしかたがないというわけです。
上記引用の理由もこれに当たります。
条件付きなら良い
ただのお墓参りならついで参りも良いが、法要や法事のときにはそれをメインとして他へのお墓参りは避けるべき、という考え方です。
お経をあげてもらったり、そのあとに会食があったりと、儀式的なものが含まれるものを掛け持ちするのは良くないというわけです。
どんな理由があろうとついで参りに当たるので出直すべき
もっともらしい理由をならべても「ついで」と思われるようなことは避けるべき、という考え方です。日を改めるなどして目的のお墓のためだけにお参りをしましょうというわけです。
お寺の住職の考えは?
ややこしいことに「それぞれ」なんですよ。
ある住職さんは「1つの供養に専念するものだ。前もって予定を立てて墓を参ろうが、ついで参りはよくない。墓参りはお彼岸でも月命日でも他の日にできるはず。お墓それぞれを参るもの」といいます。
別の住職さんは「気持ちの問題。ついでであろうが、ご先祖様にとってはお墓参りに来てくれたことがうれしい」といいます。
あえて「ついでに来たよ」と言う必要もなく、普通に参ればよいのではないでしょうか。どう取り繕っても、ご先祖様は”まるっとお見通し”なのですから。
お墓参りがマナー違反になる時間はあるの?
一般的に、お墓参りの時間は午前中が良いとされています。特に逢魔が時のお参りは良くないと。これも他の用事を済ませた後のついで参りで時間が遅くなるのを避ける意味があるのかもしれません。
確かに朝のお参りは清々しくて気持ちが良いものですし、お盆なら日中は日差しが強いので涼しいうちにという気持ちもわかります。
では、朝や夜は何時くらいが良いのでしょう?
はっきり言ってお墓参りだけを考えれば、お墓は年中無休の24時間営業です。朝は早く6時にはお参りする人もいれば、最近は夜にお墓参りをする人も増えているそうです。
でも常識的な範囲でするべきでしょうね。住職さんやお寺でお勤めしている僧侶の方々は交代で寝ずの番をしているわけではありません。それをおしてまで日の出前の早い時間や真夜中にお参りするのはどうかと思います。
それに近所の迷惑になるかもしれません。夜中に懐中電灯で足元照らしながら墓参りなんて、通報されても仕方ないですよね?
また、夜の墓参りは良くないものに憑かれるという考え方もあります。これについては「成仏していない魂をそのままにしているお寺はいかがなものか」というのをどこかで読んで納得した記憶があります。
さいごに
もやもやは晴れましたか?晴れませんよね?最後に、信仰心がさほど厚くない自分はこう思うというのを書いてみます。
自分で初めて葬式から納骨までをやってみて感じたことです。それは、葬式や法事など諸々のことは「残された者が納得するためにやるもの」なんだなということ。
失恋したら、いっぱい泣いて次の恋ができるように心の整理をするのと、お葬式をあげる心理は似ていると思っています。残された人たちが故人とお別れをするための儀式がお葬式と思いませんか?
残された人のためのお墓参りと考えれば「やってはいけないこと」もこう考えられます。
- 「やってはいけないこと」は残された親族が不快に思うこと
- いま生きている人が嫌だと思うことは、同じ遺伝子を持つご先祖様も嫌だと思っている
形がない「ご先祖様のため」よりも「親族のため」の方が現実的で、行動もしやすくありませんか?ちょっとでもモヤモヤが晴れれば幸いです。